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強歩大会の思い出〜女の子の歓声を浴びた人生でただ1度の出来事

大人の健康情報

望月吉彦先生

更新日:2017/11/20

晩秋となり、段々と冬の足音が聞こえてくる季節になりました。この季節になると思い出すのが高校時代の「強歩大会」です。
「強歩大会」とか、「強行遠足」とか呼称される長距離遠足があることをご存じでしょうか?私の故郷山梨県甲府市の県立甲府第一高校は「強行遠足」で全国的に有名です。何が有名かというとその距離です。なんと105kmの遠足!です。これは男子の距離です。女子は41kmです。

参考:甲府から小諸までは八ヶ岳の横を通っていきます(コースはイメージです)

この距離を24時間で歩く(or 走る)のです。大正13年から始まっています。今年(平成29年)で第91回目です。これが日本初の「強行遠足」だとされています(参考文献1)。
私もこの105km強行遠足に参加したかったのです。理由は後述します。しかし、当時の山梨県内の公立高校入試は「総合選抜制度」という制度があり、受験生が勝手に高校を選ぶことができませんでした。私の進学した県立甲府南高校と県立甲府第一高校は、総合選抜制度の対象となっていてどちらに進学するかは「くじ引き」(!)でした。私の同級生は甲府第一高校のすぐ前に家があったのですが、家から10kmも離れている甲府南高校へ進学せざるを得ませんでした。実に不合理な制度でした。創立してまだ日が浅かった我が母校(甲府南高校)にはプールも無く、図書館も貧弱でした。我が母校は当時創立11年、甲府第一高校は創立90年、その差は極めて大きかったのです。現在は総合選抜制度は解消されていて、受験生は自由に受験することができるそうです。うらやましいです。

教育環境はともかく、くじ引きで甲府第一高校に進むことができず「105km 24時間強行遠足」に出場できないという不満が代々あったのでしょう。私が入学した頃には、我が母校でも強行遠足が行われるようになっていました。母校のそれは、「強歩大会」という名前でした。距離は46.2kmで時間は8時間でしたが、女子も同距離です。母校のある甲府市からJR身延線の身延駅までがコースです。いわゆる「身延道(みのぶみち)」でした。大変景色の良い富士川沿いのコースでした。

図1:当時のコース図
図1:当時のコース図

46kmを8時間ですから、概ね時速6kmで行けば到達します。簡単だと思う方も多い方と思います。しかし、途中に2回の峠越えがあり、そんなに簡単では無さそうでした。

話はややそれます。
私は高校に入学し山岳部に入りました。中学時代あまり運動をしなかったので、高校時代は少し運動をしようと思ったのです。しかし、サッカー、野球、テニス等の運動部は中学時代からやっていないと難しそうです。そこで、中学時代には無い「山岳部」を選択したのです。少しだけ山登りをして楽しもうと思ったのですが、それはとんでもない間違いでした。上級生が二人しかいませんでした。だから「楽な運動部」だと思ったのが間違いの元でした。私が入った山岳部は高校総体(インターハイ)山岳部門の優勝を目指していたのです。最初の山行(≒登山)がゴールデンウィークの鳳凰三山登山でした。それまで、たいして高い山に登っていなかったので大変でした。
「高校総体山岳部門って何?」と聞かれたことも多いのですが、別に早さを競う訳ではありません。ただし、制限時間内に登れないと失格になります。色々なことを競い合って点がつきます。例えば天気図を書いたり、地図で現在地を示したり、テントの張り方、etc.そういうことで採点される競技です。
顧問のK先生の指導は大変厳しいものでした。高校総体で優勝するようなチームを作ると宣言していたわけですから。大変な部(活動)に入ってしまっていたのです。毎日5-10kmは走らされ、土日は毎週登山をしていました。成績が落ちたら登山を親から止められそうでしたので、そこは私も適当(?)に勉強もしていました。

話を戻しますが、あの難しそうなコース(図1)を配した我が母校の強行遠足の日が近づいてきました。10月でした。運動部員は、当然、皆が1番を目指しています。特に陸上部、野球部、サッカー部の連中は気合いが入っていました。歩くことが基本であった山岳部の私は、全く見当もつきませんでした。46kmも一度に歩いたことも走ったことも無いからです。周りでは、去年の1番は誰々でとか、2番は誰とか、今年は誰が1番になりそうだとか、強行遠足が近づくとそういう話題でもちきりでした。
私の思い出の品、図2を示します。「強歩大会検印カード」と印刷されているのがわかりますでしょうか?

図2:1年時 強歩大会記録
図2:1年時 強歩大会記録

これは私が高校一年生の時の強歩大会「記録」です。46kmのコースの途中、全部で10箇所の検印所兼休憩所がありました。そこを通過すると判子を押してもらえます。順位が早いと順位を記した数字の判子を押してもらえます。懐かしいです。少し見づらいですが、母校を出発して24km地点の「岩間(いわま)」という検印所で私は全体の7番!だったのです。意外でした。1年生であった私はペースが解らないので「飛ばしていた」のです。ほかの運動部の人たちは互いに牽制しあって遅かったのでしょう。思えば、私はペースが解らないので、どんどん前を追い抜いていったのでした。「無名」だった私をマークしているほかの運動部員もいません。
そしてついに「市瀬(いちのせ)」、「下部(しもべ)」の検印所通過では、2番になっていました。全校で1200人くらい。男子が900人です。その中の2番です。
検印所近くには走らない女子生徒がいて(そういう選択もできたのです)、私達を応援をしてくれます。そうです!2番になった時、検印所にいた女子生徒の凄い歓声を浴びたのです。生涯であんなに女の子の声援を受けたことはありません。舞い上がってしまいました(笑)。1番になればもっと凄い歓声を得られそうです。「下部」の検印所で、ようやく先頭を走っている「野球部のエース S君」の後ろ姿を捉えることができました。彼を抜けば1番になります。なんとか追い抜こうとペースを上げ、もう少しで追いつきそうになった時、「S君」が後ろを振り返り、私のことに気づき、ペースをあげたのです。私も付いていこうと思ってペースを上げました、しかしその瞬間、「足がつった」のです。ペースダウンを余儀なくされました。
あとは足が思うように動かず、後ろからどんどん抜かれて、ようやく身延駅に到着しました。しかし、それでも12番で Finishしました。

強歩大会が終わって数日は女の子達から「望月君はあの時、2番だったね、来年は1番になってね!」と言われ、またまた舞い上がりました。校長先生からも、直々に「勉強の成績も強歩と同じくらいの順位になれよ」と励まされました。そういうわけで、運動部の中でも、少しは知られるようになりました。

さて、2年生になりました。私は、「今年こそは絶対に1番になって、さらに凄い歓声を浴びたい」と思って、随分前より計画を練りに練って、ついに私にとって2回目となる「強歩大会」を迎えました。その時の記録が図3です。

図3:2年時 強歩大会記録
図3:2年時 強歩大会記録

走りはじめて解ったのですが、前年大会で成績が良かったので、多少、ほかの運動部の方のマークの対象とされてしまい、なかなか順位を上げることができませんでした。でも、前回のように「足がつる」ことはなく、終盤に抜かれることもなく、順位を次第にあげて無事ゴールしました。しかし、結果は何と17番。これでは女子生徒からの歓声は上がりません(泣)。いつでしたか、とある政治家が「なぜ、1番でないと駄目なんですか? 2番じゃいけないんですか?」と発言して顰蹙を買いました。この時から私は「1番で無いと駄目」だと解っていました(笑)。

陸上部でもない私がなぜこの「強歩大会」で(多少)早かったかというと、道中2箇所の峠越えがあったためです。峠越えは、ほかの運動部員はあまり経験したことがありません。山登り、山下りは走り方が違います。箱根駅伝で山登りの「神」などと騒がれますが、平地を走るのと山を登りながら走るのは、全く、違うのです。(前述の通り)山岳部で鍛えられていた私には「峠越え」が苦になりませんでした。峠から下るのも楽でした。それでタイムを稼ぐことができたのです。

私の思い出話はともかく、今一度、甲府第一高校の100kmを越える強行遠足の話に戻したいと思います。
100kmを越える距離だけでも凄いのですが、「甲府第一高校の強行遠足」の歴史は長く、その中では24時間距離無制限走行という時代もあったのです。24時間で、どこまで行けるかを競った時代があったのです。最高到達距離記録は、167kmです。24時間で甲府から長野県大町市簗場という地点まで到達したと記録されています。昭和32年のことです(参考文献1、2)。しかし、距離無制限は危険だということで現行の24時間105kmになって久しいです。
なんでこんなことを知っているかというと、この167kmの最高距離到達者が、私の中学校の先生だったからです。技術・家庭科担当のI先生でした。I先生は、当時から伝説の人でした。歩くのが速い先生でした。皆の尊敬を集めていました。私も、だから甲府第一高校の強行遠足に出場したかったのです。

また話は変わります。 中学を卒業して40年も経ったある日のことです。ある心臓病の方が緊急で入院されてきました。弁膜症と大動脈瘤を合併していました。心臓手術の中でもかなり難しい「ベンタール手術」が必要でした。私はほかの患者さんの手術の予定を変更して、その方の手術を繰り上げて行うことを決めました。「ベンタール手術」は、何度行っても緊張する難しい手術です。
さて、いよいよ明日が手術だという日の夕刻に看護師さんから連絡があり、その患者さんのお見舞いに来ているIさんという方が私に面会したいと言っているとのことでした。その病室に伺うと、何とIさんとは、あの尊敬するI先生でした。伝説のI先生が、山梨県から私が勤務する栃木県の病院にいらしたのです。40年も経っていましたが、I先生も私の顔立ちを覚えてくれていたのです。翌日にベンタール手術する予定の患者さんが、I先生の親戚の方でした。それでお見舞いに来ていたのです。ベッドサイドで担当医の名前を見て「担当医はもしや私の教え子ではないか?」と思い、それで看護師さんに私への連絡を頼んだのです。I先生は「望月君、明日は大きな手術だと聞いている。最善を尽くして欲しい」と仰ったのです。40年前に教えた生徒の名前を覚えていてくれたのです。私は感激しました。一段と手術にも気合いが入り、手術は成功しました。患者さんは、幸い術後も順調な経過で、元気に退院されていかれました。今、思うと私の技術・家庭科の成績はあまり良くなかったので、「手術は大丈夫か?」と、私の手先の器用さを危惧していたのではと今となっては思います(笑)。

そんなこともあり、あんなこともあり、秋になると「強行遠足」「強歩大会」のことが頭をよぎります。なお、私の高校3年時の「強歩大会」は受験勉強もあり、1番になろうとは思わずに晩秋の身延道の紅葉を楽しみながらゆっくりと走りました。これもまた、良い思い出です。
今は、もちろん、そんなに長い距離を走ったり歩いたりはしません。長い距離を歩くのは「天気が良い日だけに登る『富士登山』」だけにしています。富士山には今年も登りました。その写真をお目にかけて終わりとします。

富士山頂
富士山頂からの眺めです。

【参考文献】

  1. 甲府第一高校強行遠足の歴史
  2. 甲府第一高校強行遠足の記録

余談:文中に出てくるI先生に技術・家庭科で指導いただき製作した椅子は、大切に修理しつつ今でも使っています(笑)

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-1-1 浜松町ビルディング1階 プラザ 111 内
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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